2016年9月30日金曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(前編)

■はじめに

いつかこの問題について触れようと思っていました。

主に祭祀考古学の分野で、神観念の研究は進展しています。その嚆矢となったのが國學院大学教授・笹生衛氏です。
笹生氏は、民俗学者の折口信夫が提唱した依代の概念や、かつて同じ國學院大学教授の大場磐雄氏が形作った原始神道的世界観に関して批判的検討をおこなっています。

國學院大學において、神聖な権威になっているであろう大場磐雄氏に対して、批判的な分析を加えられたその意志に、まず私は並々ならぬものを感じます。真に学者だと思います。

ここでは、web上に公開されている以下の論文を参照して、考古学分野以外にあまり広まっていない現今の研究状況の紹介と、私の感想を述べたいと思います。


笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

時枝務「神道考古学における依代の問題」(『立正大学大学院紀要』第31号 2015年)
http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5656
(笹生氏の研究を受けた形で、同じく旧来の民俗学・考古学における依代について再検討している)



■「依代」は折口信夫が創った分析概念


なかば普通名詞と化している「依代」。

しかし、実はこの「依代」。古文献や古伝承にそのまま記載がある言葉や考えではなく、折口信夫が研究の中で作った造語であることをご存知でしょうか?

しかも、この「依代」という概念は、真に古代の神観念を忠実に反映した考え方かについても、改めて議論の対象となっています。
まずは、時枝氏の論文に沿って折口信夫の提唱した「依代」を見てみましょう。
※以下、括弧内は時枝論文より引用

折口信夫の「髯籠の話」(『郷土研究』第三巻二号・三号、1915年)に次の象徴的な一文があります。

「神の標山には必神の依るべき喬木があつて、而も其喬木には更に或よりしろのあるのが必須の條件であるらしい」

このことから、時枝氏は「樹木が依代なのではなく、樹木の先端につけられた御幣こそが依代であることが明示されている」と指摘しています。
したがって、「依代とは、神霊が降臨する地点を明示するために、神霊降臨の目的物につけられた目印」であり、「樹木や磐座が、それ自体が依代なのではなく、そこに付された聖なる印こそが依代」と折口が考えていたことを明らかにしたのです。

一方で、折口の論を受けた柳田國男は、依代についての解釈を次のように"勘違い"しました。

「柳田は、樹木に神が憑依するとそれが神木になると考え、目印としての依代については考察しなかった。柳田の理解では、神が憑依する樹木自体が依代に該当し、目印はさほど重要でないと考えたようで、検討を加えることさえしなかった。」

つまり、「依代は、折口にとっては目印、柳田にとっては憑依する物自体を意味した」ということです。

柳田一人が依代の概念を勘違いしただけならまだ被害は少なかったのですが、「日本民俗学は、柳田の決定的な影響力のもとに発展していったこともあり、多くの民俗学者は依代を柳田に近い理解のもとに使用するようになった」ため、その影響は民俗学以外の分野にも広がっていきました。
 
たとえば考古学がその一例です。
神道考古学の大場磐雄氏は「樹木・石塊・簡易な施設などが依代であると述べているが、神が降臨する際の目印であるとは一言もいっていない」とし、大場氏責任編集のもと完成された『神道考古学講座』第一巻(1981年)を見るかぎり、「依代を祭祀の対象であるとしていることも、目印としての依代ではないことを示していよう」と指摘されています。

つまり、「考古学者による依代概念を検討してみると、佐野 ・小出を除いては、柳田の理解の延長線上にある見解であることがあきらか」だといいます。

今まかり通っている「依代」の定義は、折口が本来提唱した意味とは勘違いされているため、時枝氏は「第一に、学術用語の概念は、提唱者の原典に帰って確認することを励行したい」と提言しています。

その通りだと思います。
私自身、「依代」は憑依する目的物そのものという辞典的定義を信じていた人間のため、これからは「依代」を「神が目的物に憑依する時に必要とした目印」という意味合いで使用していきたいと思います。


■依代は目印だから憑依物ではない?


ただ、憑依する目的物(樹木や岩石)が祭祀の対象で、その先に目印とついていた依代は、目印だから祭祀の対象でないとみなす時枝氏の考えは、必ずしもそう言えるのかという疑問があります。

依代は単なる目印ではなく、祭祀に用いられていて、神の目にとまる機能を持つのだから「聖なる印」なのであり、依代自体に聖性が帯びるのもごくごく自然なことだと思うのです。

また、信仰・祭祀の当事者自身が、そこまで機能論的に明確に"樹木・岩石が神の宿る部分"、"依代はあくまでも目印"と切り分けていたかもグレーゾーンです。
依代という装飾部分を込みにした全体が憑依物だと信じられていたことを想定することも、まったく不自然ではないと思われます。これは折口概念の拡大解釈とは全く別の次元の問題です。
これはこの機能だけ、あれはあの機能だけと当事者が限定する必然性はなく、目印でもあり神が宿る部分でもあるという複合機能の可能性を解釈の中に入れておくことを、私は呈したいと思います。


■神は去来するものだったか、神は常住するものだったかという択一法への疑問


時枝氏は、論文の最後にこのような問題提起をされています。

「折口は、依代を目指して神が降臨したと考え、神の去来を予想した。ところが、『出雲国風土記』をみると石神が祭場にいるように記している。」
「要は、神が去来する場所に祭祀遺跡が営まれたのか、それとも神が本来いる場所に営まれたのか、われわれは再考する必要に迫られているのである。」

これについては、私も以前自著で野本寛一氏の先行研究を振り返る時に触れましたが、去来する神を呼び寄せて祭祀をしていたか(磐座的発想)、神がずっといる場所で祭祀を行ったか(石神的発想)、どちらが先行概念でどちらが後行概念かはまったく解明されていない問題なのです。

私が疑問なのは、『記紀』『風土記』というテキストは、多種多様な言説世界がある種無理やりに1つにまとめられたものであり、これらのテキストがそれ以前の言説世界とイコールにはならないという危険性を、常に心にとめておいたほうがいいのではないかということです。
1つのテキストに集約される以前の古墳時代以前においては、磐座的発想・石神的発想は先後関係で語れるものとは決まっておらず、そもそも地域差によるものだったかもしれないということを、解釈の幅に入れておきたいです。
つまり、古代の神観念は一択と決まったわけではないということです。それが一択のように話が進んでいくのは、早計だと思います。

そのような視点を込めて、次に笹生衛氏の研究を紹介したいと思います。
長くなったので本記事はここまでにして、後編に分けます。

後編へ続く


0 件のコメント:

コメントを投稿