2016年11月2日水曜日

古代人は巨石をどのように運んだのですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

 "疑問としては巨石をどのように運び出し、祀ったのかということです。"(2回生の方より)

■巨石の運び方

運び出し方について、最も基本に忠実な説明をされているのが下記の研究です。

中根洋治ほか「運ばれた巨石に関する一考察」(土木学会第63回年次学術講演会、2008年発表)
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2008/63-04/63-04-0190.pdf

巨石の移動・運搬は超技術ではなく、古代人の多大かつ地道な努力により説明できる現象です。説明はできますが、いま目の前にある巨石が実際に古代人が運んだ産物なのか、それとも運ばれたわけではなく、自然の力でそこに行きついた産物なのかは、また別の議論になるので注意が必要です。

その岩石が、自然そのままのものであるのか、人工的にもってきたり組み合わせたものであるのか。
この結論をはっきり出したいなら、必ず理化学的な調査が必要です。
でも、理化学的な調査には専用の装置と調査費がかかるため、一個人には大変です。

■地学的な知識で推定する


そこで、見た目からある程度の推定ができると良いですね。

見た目からは、自然とも人工とも即断できないことが多いですが、地学的な知識をある程度持っていれば、推定することはできます。
その点で、 下記の研究は巨石の成因の地学的裏付けを学ぶにあたって参考になります。

吉村光敏「信仰巨石の地学観察技能講座」(2016年発表)
http://chibataki.moo.jp/kyosekitigaku/slideindex.html

巨石が織りなす光景を見て、それを人工の産物と感じるか、自然の産物と見るかは、ひとえに受け取り側の「常識」に委ねられています。
「常識」を飛び超えた瞬間、その人にとって「これは自然では説明できない=人工である」という図式が成り立つわけですから。
であるなら、その「常識」を形作る知識は事前に広げておくことが求められると思います。

個人的には、各地の巨石を巡れば巡るほど、自然が織りなす光景は、人間の常識や経験則なんてものを軽々と凌駕していることに気づけると思います。

■古地磁気調査の取り扱いは注意

一方で、巨石の人工設置説を証明する方法として、古地磁気調査がしばしば援用されます。
下記の研究が著名ではないでしょうか。

森永速男「雑感 古地磁気研究が縁で関わった『巨石文化!?』について考える」(『文化財と探査』6巻1号、2005年発表を『イワクラ』4号に掲載したもの)
http://iwakura.main.jp/magazine/4-10.pdf

古地磁気とは、火山岩が冷却される時に、当時の地球の磁場と同じ磁気が岩石に帯びたもので、磁気の向きは地球の磁場と同様に一定の向きに揃います。
つまり、岩石が冷却後ずっとそのままその場所にあるのなら、岩石の磁場は一定の方向に向いたままと仮定でき、一方で、岩石の磁場の向きがバラバラだったり自然の磁場の向きに逆らうものであれば、その岩石は人工的に運搬・設置された証拠になるのではという見方をします。

この論理に立って、高知県唐人駄馬の巨石群や、岐阜県の金山巨石群、奈良県の鍋倉渓、岡山県の高島・白石島巨石群の4か所が上記論文で取り上げられていて、そのうち前3者について、磁気の方向が一定しないことから、岩石同士が「回転・移動」していることは証明されたといいます。

この「回転・移動」が曲者です。さすが上記論文の森永氏は職業研究者だけあって全編にわたって理性的な記述にとどめていますが、「回転・移動」の動作主が人間か自然かについては一言も決めつけていません。
それは当然、森永氏は巨石群の歴史学的な研究者ではないからです。この態度が学問的態度というものです。

しかも、高島・白石島の例からは、冷却時の古地磁気が後世、二次的な原因により攪乱されてしまう岩石もあることを指摘しており、あらゆる火山岩がこの方法で「回転・移動の有無」を明らかにするわけでもないことを記しています。巨石人工設置説に立つ方々は、あまりこの点に触れませんが・・・。

そもそも、この古地磁気調査の安易な援用を気をつけなければいけないのは、それぞれの立地や地理的環境を考慮していないことでしょう。
冷却時の岩石が、ずっとそのままの位置にあるだけが自然のままとは言えず、後世の自然災害により岩石が二次的に動くのも自然の範疇であり、立地的に傾斜している場所であれば、地面から浮いた巨石が別の巨石の上に乗りかかったり、より傾斜下に移動することも自然の範疇でしょう。

実際、岐阜県の金山巨石群は、立地的に地滑りで原位置を動いた自然配置の巨石群の可能性が指摘されており(宮下敦「岩屋岩蔭遺跡」http://earthprobe.blue.coocan.jp/megalith/iwaya.html、2016年11月2日閲覧)、古地磁気で磁気の向きが一定ではないことが、すなわち人為を証明するわけではないことを押さえておかないといけません。

私の疑問としては、「自然のまま長年の時を経た露岩群=磁気の向きが一定になる」 という仮定が正しいかということです。
サンプル抜き取り調査という意味で、自然の露岩群に対しても何例か古地磁気調査をかけてみてはいかがでしょうか?
その結果と、人工的に配置した岩石群との結果との間に有意差があるかをまず明らかにするべきでしょう。

■考古学抜きの議論はありえない


文献が残っていない時代の巨石人工移動・運搬を説明するには、考古学抜きでの議論はありえません。

上記の巨石群を縄文時代の巨石文明の例と主張する方々を見かけることがありますが、共通して言えるのは、縄文時代を専門とする考古学者が介在しないまま、縄文時代の「遺跡」として語られている異様さです。

縄文時代がどういう時代か、どのような遺構と遺物に基づいている時代なのか、熟知して語られているとは思えません。
少なくとも、縄文時代という一つの時代と、日本列島というひとくくりの空間幅で語られるほど安易なものではないのです。それこそ、数多の考古学の成果が蓄積されています。

私ですら専門は古墳時代なので、現在の考古学の縄文時代研究について熟知している人間ではないことを自覚しています。だから私も、縄文時代の岩石信仰の有無については保留の立場です。

考古学は、人が活動した痕跡である遺構・遺物が確認されて、初めて研究できます。

文献が登場する奈良時代以降であれば、文章に書かれてさえあれば、現地に痕跡がなくても、人の思いを抜き出すことができますが、古墳時代以前は文字資料が激減するため、遺構と遺物に依拠しなければいけません。

そのため、まず遺構・遺物が巨石群から見つかることが大前提です。見つかっていなければ、そもそも人が関わった岩石であることを説明できないからです。
遺構・遺物が見つかっただけでも、まだまだです。巨石との関連がまだ説明されていないことに気づかないといけません。

そこからの分析方法はケースバイケースです。
岩石そのものが自然石でも、それを据えつけた場所・地層自体が整地されていないか、噛ませ石など周囲の痕跡がないか、岩石自体に運搬・移動の痕跡を見つけるかなど。

私は、巨石であればあるほど、それを無理に移動したことによる考古学的痕跡が残るのではないかと思っています。
つまり、逆にそれが確認できないということは、人為性は疑わしいとも思っています。

ただし、私はそう判断できるほど理系の専門を歩んでいないので、今後、そのようなアプローチから研究される方が現われることを待っています。
私は、私が活躍できるであろうアプローチで岩石信仰の研究を研鑽していきます。



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