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2018年5月4日金曜日

白山とダンノダイラ~三輪山の奥~(奈良県桜井市)



奈良県桜井市辻728番地に、眞言律宗 巻向山 奥不動寺という寺がある。

奥不動寺

ここは、大神神社の神体山で著名な三輪山(標高467m)と巻向山(標高567m)の間に位置する。
三輪山の知名度に反して、この三輪山の奥にある奥不動寺の一帯が取り上げられる機会は少ない。
本項では、白山とダンノダイラの2ヶ所の奥三輪を紹介する。

■ 白山


奥不動寺から北に山道があり、急登を3分で景色が一変する。

白山

白山

白山

白山

この岩山を白山(標高486m)と呼ぶ。

周囲が緑に囲まれた中で、ここだけが一面真っ白の岩峰と化している。
表土が流出して、地中の岩盤が一面に露出したものと思われる。
歩いているだけでも岩盤はボロボロ剥離する地形だが、なぜここだけこのようなことになってしまったのか。

その位置的な近さから、奥不動寺の霊場としてうってつけだが、奥不動寺によって特に行場や信仰の場を示すものはない。

白山
上写真の奥方に(直接は見えないが)三輪山が位置する。

昔もこのような岩山だったと仮定して、三輪山をまつっていた人々がこの白山を知っていたら、三輪山最奥部の聖域として神聖視されていたのではないかというインパクトがある。
むしろ、奥津磐座を知るはずの三輪山の祭祀主体が、少し歩けばたどりつくこの圧倒的聖域を知らないということがありうるのだろうか。

まったく古代史に登場しない場所である。

白山

白山

桜井市文化財協会の中村利光氏の「ちょっと寄り道第5回 山頂が一面蒼白の白山」「桜井市立埋蔵文化財センター」内)によれば、白山には天狗岩という立岩があると記している。


ダンノダイラ


奥不動寺の東方約500m地点に広がる緩やかな山腹一帯をダンノダイラといい、その東端に「磐座」としてまつられた露岩がある。
ここは桜井市の出雲地区に属する。




ダンノダイラについては、現地に「野見宿禰顕彰会」という団体が作った懇切丁寧な解説板があり、奥不動寺からも案内標識が充実している。
以下はこの現地解説板に基づいて紹介をする。

嘉永年間(1848~1854年)に作成されたという「和州式上郡出雲村古地図」によると、巻向山の中腹にダンノダイラという地名があり、ここは明治時代の初め頃まで人々が住み、その宅地や田の跡が残っているという。
ダンノダイラ上方には湧水沼があり、そこから流れた小川と思しき流水路跡がダンノダイラに現存していることから、確かに人がかつて住んでいたのだろう。
信憑性は定かではないが、小川跡からは6~12世紀の土器片も採集されたという情報もある。

ダンノダイラ
ダンノダイラに残る小川跡

ダンノダイラの南麓には出雲村(桜井市出雲地区)がある。
明治の初め頃までは、年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったと、1964年に村の年配の方の証言があったことが記録されている。
出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、ダンノダイラにある「磐座」を拝む場だったという。

このようにダンノダイラは麓の出雲村と関係が深いとされる場所で、中にはここが古代の出雲ムラで、日本神話の出雲国神話や『日本書紀』の野見宿禰伝説の舞台となったという仮説もあるが、そこまで話が進むとやや批判的に見なければいけない。

ダンノダイラの「磐座」は、急傾斜面の山肌に露出する岩崖である。
岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残され、まとめて神聖視されている。

ダンノダイラ

ダンノダイラ

ダンノダイラの中央やや西寄りに、「天壇」と名付けられた場所がある。
マウンド(といってもかなり緩やかで自然地形の延長線上)の頂部に集石が残る。

天壇とは、中国の天子が冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇のことで、その日本式天壇に該当すると皇學館大學の村野豪先生が述べたという解説が現地に立てられている。
前提条件がいろいろとわからないので素直に納得はできないが、集石があるのは確かである。

ダンノダイラ
「天壇」

ダンノダイラも郷土研究が入り混じりミステリアスな現状となっているが、個人的にはその郷土史家にさえ何も語られない白山に、より関心を惹かれる。

2017年9月10日日曜日

天河大辨財天社の天石(奈良県吉野郡天川村)


奈良県吉野郡天川村坪内107

「鎮守の杜、琵琶山の磐座に辨財天が鎮まり、古より多くの歴史を有す」(社頭掲示より)

天河大辨財天社の天石

社殿は小高い丘の上に建つ。
これが琵琶山で磐座と見立てたものだろうか。

当社には「天石」と呼ばれる四つの石がある。

「この地は『四石三水八ツの杜』と言われ、四つの天から降った石、三つの湧き出る水、八つの杜に囲まれし処とされ、神域をあらわす。その内三つの天石(一つ石階段右・二つ五社殿前・三つ裏参道下行者堂左)を境内に祀る。」(社頭掲示より)

チェリーさんの「神社参拝記」によると、天石の名前は「イノコ石、玉石、ダムダ石、もう一つは不詳」 、もう一つの説として「イノコ石、ダムダ石、天石、名称不詳」という(「大峰本宮天河大弁財天社」より)。

瀬藤禎祥さんの「神奈備にようこそ」によれば、弁天橋の下に「ダムダ石」(通称ムシロ岩)があるといい(「天河大弁財天社(天河神社)」より)、ダムダ石については特定ができるが、他の石は名前と場所が一致できない。

天河大辨財天社の天石

一つ石階段右

天河大辨財天社の天石

二つ五社殿前

天河大辨財天社の天石

三つ裏参道下行者堂左

一つめ、二つめとは違い、垣や注連縄の標示がないので特定しにくい。
上写真でいうと左手前の、樹木の陰に隠れ気味の石といわれるが・・・。

天河大辨財天社の天石

上写真のとおり、行者堂の右奥側に小ぶりな三角石もあり、これも怪しいのだが、社頭掲示は「下行者堂左」とあるので、やはりこちらは違うか。

天河大辨財天社の天石

天石の四つめの場所は、社頭掲示では明示されていないが、先述のように弁天橋の下にあるダムダ石のこととされている。

弁天橋の橋の上から眺めてみた写真が下。

天河大辨財天社の天石

どれだろう?

神社ライター・宮家美樹さんによる記事「奈良の神社話その一 神が降る『天石』、四つ目の謎──天川村・天河大弁財天社」によると、「赤い欄干の弁天橋の中心辺りから上流側を見ると、水面から平たい石が顔をのぞかせているのがわかる。本来は2メートル程あるこの石こそが四つ目の天石」とのこと。

しかし、どうしてなのか、肝心の写真が掲載されていないので、照合できない。

天河大辨財天社の天石

あえて絞るなら、これが比較的平たいけれど、裏付けをとれない。

川には他にもいくつか平たい石や大きめの石があり、取り立てて目立つのがどれとも言いにくい状況。
とりあえず、 結論保留のままとしておきたい。

どなたか、この天石についてご存知の方がいらっしゃったらお教えください。


2017年5月16日火曜日

生駒山寶山寺の般若窟(奈良県生駒市)


奈良県生駒市門前町1-1

生駒聖天

通称、生駒聖天として知られる生駒山寶山寺は、伊勢国出身の湛海律師の開山によって、貞享5年(1688年)に初めて本堂が建立された。

ここに寺を開山した理由は、寺伝によると本堂裏にある朝日嶽の般若窟にあると伝えられる。

生駒聖天

般若窟は、由緒書によれば「中生代、古瀬内火山に属する一火山の噴火口類」とされる自然の岩屋である。

この窟は、役行者が修行して大般若経を納めたと伝えられる聖跡で、また、若かりし頃の弘法大師が修行したという伝承も付帯していたことから、それを聞いた湛海律師が「ここで弘法大師と共に弥勒菩薩下生の時を待つ」と語り、寺を開いたと伝えられる。

実際のところは不明であるが、湛海律師が入山した時、般若窟の頂上で古い五輪塔がすでにあるのを見たという。
般若窟の平坦地でも、弘安5年(1282年)の銘が入った石塔が発見されている。

また、般若窟に以前からまつられていたとされる神として、岩船明神と弁財天がいる。
湛海律師が入山まもなく、まだ般若窟を見つけていない頃、深夜に怪物に抱きしめられ、後日、その怪物に似た「ごつごつとした岩」を般若窟の岩船明神社で見かけた。
さらに、ある弟子の顔が弁財天に見えた時があり、麓にあった弁財天社が「お山に帰してほしい」と言い出したため、元の場所といわれる般若窟に戻したのだといういわれがある。

生駒聖天

般若窟は上写真の通り、立入禁止となっているが、窟の奥に見えるのが岩船明神社と弁財天社である。

このように、伝承上であるが寺院開山以前からの神々や聖跡を宿す岩窟であることがわかる。

<参考文献>
『生駒山寶山寺 寶山寺資料』 寺務所にて購入

2017年5月12日金曜日

猿田彦神社の賽の神(奈良市)


奈良県奈良市今御門町1番地

道祖神社(奈良市)

奈良市の中心繁華街「ならまち」の街角にある神社。

道祖神社(奈良市)

看板の通り、巨石は「賽の神」として勝負の守護神として信仰されたとあるが、道祖神の名から分かる通り、元々は「塞の神」(境界の神)として出発したものだろう。




2017年4月20日木曜日

八つ岩(奈良県天理市)



奈良県天理市長滝町日の谷

参考文献

瀬藤禎祥さん 「日の谷」「八剣神社」「神奈備にようこそ」内)→2010年1月10日アクセス
kokoroさん 「神社による古代史4 石上振神宮略抄より H13.9.17」「神奈備にようこそ」内)→2010年1月10日アクセス
乾健治(1939年原著)・瀬藤禎祥さん(抄訳) 「鳥見山傳称地私考 by 乾健治氏」「神奈備にようこそ」内)→2010年1月10日アクセス
しぇるぱさん 「天理の大国見、奥へ奥へと」「シェルパ散らし踏み」内)→2010年1月10日アクセス

概要

「八ッ岩」と表記する場合もある。スサノオに斬られたヤマタノオロチが神剣になって、あるいは、神剣に付き従って降臨したといわれる岩。


2016年4月2日土曜日

ちご石/神籠石/楯(奈良県桜井市)

所在地:奈良県桜井市忍坂

忍坂坐生根神社から南に歩いて5分。
忍坂地区は史跡地図や案内が充実していて、迷うことはないだろう。



ちご石

ちご石

神武天皇が東征の時に楯とした大石がこれであり、「楯の奥」の地名が残る。

神籠石(じんごいし)がなまって「ちご石」になったという説明だが、逆はありえないのだろうか?
神籠石、じんごいしという名前は、神籠石論争の産物を思わせるが・・・
地名に基づけば、楯という古称も捨てがたい。

「聖域をあらわすモニュメント」という説は、明日香村の立石と同じ論理をあてはめたのだと思う。


2016年3月31日木曜日

忍坂坐生根神社の石神/磐座(奈良県桜井市)

忍坂坐生根神社
(おっさかにいますいくねじんじゃ)

所在地:奈良県桜井市忍坂



本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神」と称する自然石十数個を並べた「磐座」があります。
――現地解説板より

2016年3月28日月曜日

小夫天神社(奈良県桜井市)

所在地:奈良県桜井市大字小夫3147番地


googleマップで場所を指定できて感激。
googleマップで小夫天神社は表示されていない。この地区を代表する神社なのだが。