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2018年4月12日木曜日

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩(岐阜県各務原市)


岐阜県各務原市那珂手力町4

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

 那加総社 手力雄神社の背後の丘は「清浄の霊山」とされ、そこに夫婦岩とも烏帽子岩とも真幣岩(みてぐらいわ)とも呼ばれる名石がある。
 当神社の祭祀の源流とも、奥の院ともいわれるが詳細は不明点が多い。

  手力雄神社はかつて真幣明神と称されたことがあり、真幣岩の名はそこから由来するものと思われるが、どの岩が最古の名称かは不明である。

 神社境内に横穴式石室が開口した円墳が2基残っている。当岩は、古墳の奥上方に立地しており、岩石信仰と古墳の同居事例の一つとなる。

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

出典

小林義徳 『那珂町史』 龍文堂 1964年

垣内遺跡三ツ岩(岐阜県高山市)


岐阜県高山市上野町字垣内

垣内遺跡三ツ岩

垣内遺跡三ツ岩

 垣内遺跡三ツ岩は、縄文時代中期後半と後期後半の集落遺跡である。

 従前よりここに「三ツ岩」と呼ばれる3体の岩石があり、これに触れると祟りがあるとの言い伝えがあった。
 さらに昔は3体ではなく他に7体以上(合計10体以上)の岩石が露出していたという。

 発掘調査時、環状列石遺構が見つかったことから、三ツ岩は縄文時代の環状列石の一部がそのまま現代に遺存し神聖視された事例ともされている。
 ただし原位置はほとんどとどめておらず、従来の配置状態や規模の多くは不明となっている。

 集落は土坑墓群を中心に形成されており、土坑群の外縁に沿って環状列石が存在し、さらにその周縁に住居跡が作られていたようである。

 日本ピラミッド論者の上原清二は『世界の神都 飛騨高山』( 八幡書店 1985年参照) の中で、三ツ岩を「上野平面ピラミッド」と呼び、平面状の日本ピラミッドとして評価した。
 上原は、三ツ岩が磐境であるならば中心に太陽石があったはずだと考え、その太陽石候補を上野平の村境にある黒岩(弁慶岩)と推測している。この黒岩の所在を現時点でつかめていない。


2018年4月8日日曜日

蛤石(岐阜県高山市・飛騨市)


岐阜県高山市上三之町82番地 飛騨民族考古館内展示


岐阜県飛騨市古川町高野

蛤石
飛騨民族考古館に展示されている蛤石


 石の表面が粒状の模様で埋め尽くされ、球状閃緑岩(ナポレオン石)という稀少石である。

 飛騨市古川町高野の古川城(通称 蛤城と呼ばれ、蛤石があったことに由来する)に、蛤石と呼ばれる雌雄2体の奇石があった。
 2体の蛤石は、夜更けに白気やうなり声を発するとして、人々から不思議な石だとして恐れられたという。

 古川城の廃城後、新たに高山城を築いた金森長近がこの蛤石の噂を聞き、高山城に移設させようと人夫に運ばせたが、石はどんどん重くなって道中でピクリとも動かなくなったばかりか、ブーンブーンとうなり声を上げるので人夫は恐がり、金森長近もあきらめて石を元の場所に戻すように命じたという逸話がある。
 ちなみに戻す段になると蛤石は急に軽くなったという。

 その数十年後、長い日照りがあり全く雨が降らなかったので困った村人達が、蛤石を川の下に沈めてみてはどうか、何か起こるかもという思いで雌雄の片方を沈めてみたところ、すぐに大雨が降ったという。
 その後、お互いバラバラになった蛤石から白気やうなり声などの変異は起きなくなった。

 雌雄の内、川に沈められた方はその後いつの頃かに引き上げられ、なにかしらの経緯かを経て、飛騨民族考古館に所蔵展示されている。もう一方(沈められなかったほう)は、古川城跡に今も現存する。
 蛤石は地質的に考えてこの場所に露出する自然石ではなく、飛騨の産出地のどこかから人為的に持ってこられたものだと考えられている。

出典

野沢保・下坂達哉・石原哲弥・下畑五夫 「飛騨古川町の蛤石」「(独)産業技術総合研究所 地質調査総合研究センター」サイト内) 2009年6月14日アクセス
「蛤石の伝説」「蛤石を発見:伝説の石を探し出せ」(やまてつさん 「恵比寿の郷」サイト内) 2009年6月14日アクセス

2018年3月31日土曜日

子安岩(岐阜県各務原市)


岐阜県各務原市那珂琴が丘町

当地にあった土山は、「琴が丘団地」の造成によりほとんどが原型を失われた。
ただ、その最西端はまだかつての土山の樹林帯を残し、そこに子安岩が現存する。

子安岩は「土山の七名石」の1つという。
他の六石は「兜岩」「観音岩」「蛙岩」「獅子岩/神楽岩」「烏帽子岩」「玉岩」といい、土地開発の中で消失したものもあるというが、全容はまだはっきり突き止められていない。

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土山の最西端の道路から、このような入口が通じている。

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子安岩

子安岩は4個の岩石が組み合わさり、その隙間がくぐれるようになっている。自然の産物か人為によるものかは不明。

妊婦がこの穴をくぐっておくと安産になると信じられた。
現在は、大人が這いつくばって通れるほどの隙間しかないが、濃尾地震(1891年)前は立ったまま通過することができたといい、地震により上部が崩れて現在の姿に変わったという。現状と原形の景観は異なることに注意したい。

なお、子安岩に隣接して山神の石碑が安置されている。

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出典

小林義徳 『那珂町史』 龍文堂 1964年


2017年2月19日日曜日

朝鳥明神(岐阜県揖斐郡揖斐川町)


所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町上野字馬瀬口

1、朝鳥明神の磐境

小島山(標高八六三メートル)と室山(標高三七四メートル)の間には朝鳥谷(浅鳥谷)が形成されており、谷から流れる沢は揖斐川へ接続している。この朝鳥谷の入口に朝鳥明神が鎮座しているが、類を見ない祭祀形態を持つ神社である(一九六七年、朝鳥明神址として揖斐川町指定史跡になっている)。

一の鳥居は、二本の木柱に竹を渡した〆鳥居と呼ばれるものを建てており、奥にある二の鳥居は素木で組んだ神明鳥居である。二の鳥居の背後に、「案」と呼ばれる供物などを捧げるための台があり、木造と石造の二つが置かれている。石造の案の上には、鏡と四手を収納するための小祠が置かれている。

案の後ろの山林は「神山」と呼ばれ、今も禁足地になっている。この禁足地に列石があり、通俗的に磐境と呼ばれている。中に入ることはできないが、草木の間から顔を出す岩石の群れを確認することができる。まず案の背後に四個の列石が横一直線に並び、その奥に注連縄の巻かれた一個の岩石がある。これを取り囲むかのごとく、さらに奥に四個の注連縄の巻かれた岩石が配されている。

この磐境を使って今も定期的に祭祀が行なわれているというが、はたしてどのような内容なのだろうか。
朝鳥明神
写真中央の森の中に朝鳥明神が鎮座する。

朝鳥明神
特異な〆鳥居。奥に見える簡素な祠が朝鳥明神である。

朝鳥明神
祠の前に案が設置されている。

朝鳥明神
祠の裏は神山と呼ばれる禁足地で、その中に磐境が散在している。


2016年11月25日金曜日

乳岩(岐阜県関市)



所在地:岐阜県関市下之保轡野


車1台がやっと通り抜けられる車幅の峠道沿いにある

乳岩
「乳岩」「乳岩さま」と呼ばれる鍾乳石があり、乳岩神社としてまつられる

乳岩
鍾乳石の乳岩

乳岩からは常時雫が滴り落ちており、それを受ける容器にはなみなみと水がたたえられている。
水からは乳の甘い匂いがするといい、乳の出が悪い人や、乳の出すぎる人にとってもご利益のある霊水という。後年には、癌封じにも霊験ありといわれるようになった。

傍らには柄杓があり、霊水をすくえるようになっている。
願いが叶った暁には、布きれを作って奉納するしきたりがあったという。

乳を求めた赤ん坊が、この乳岩の水を飲んで泣き止んだという地元の伝説が残っている(詳細は参考文献参照)

■参考文献
NPO法人日本平成村 武儀のむかし話伝説ロマンウォークの会 『武儀のむかし話伝説ロマンウォーク 下之保轡野コース』(発行年不明)