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2017年12月7日木曜日

倉石忠彦「石のイメージ―石神と道祖神―」紹介

岩石信仰に関する新たな論考が世に出されました。

民俗学者の倉石忠彦氏が『長野県民俗の会会報』第40号(2017年11月刊)に発表された「石のイメージ―石神と道祖神―」です。

同好のみなさまに向けて、当論考の概要を節ごとに紹介いたします。
岩石信仰の深みを知る一つの書として、広く知られれば幸いです。長文となりましたので、ご関心のある方はお時間のある時にお読みください。

一 問題の所在


倉石氏は長年、道祖神について研究を続けてきた。
その中で、道祖神が石の形で表されるケースに出会う。

ただし、道祖神=石ではないのと同様に、石=道祖神でもないことは承知の上で、道祖神と石神という2つの信仰はどのように相互影響しあって、現在のように境界線を引きにくい混然一体の存在となったのか。

道祖神研究の専門家である倉石氏が、道祖神なるものをさらに追究するため、石に対して日本人がいかなる心性をもって付き合ってきたかという「石のイメージ」について取り上げたのが本稿である。

二 「石」の認識


倉石氏は、ここで興味深い前提をのべている。

石は地球上に偏在しているからこそ、人が石を意識することは逆に少ない。いわゆる空気のような存在ということである。
「意識しない=生活世界において存在しない」という図式を提示している。

石に意識することが、石へのイメージの始まりということになる。
石をイメージすることで、石に対してあらゆる感情が生まれる。
石への信仰も、そういった感情のうちの一つとして把握することである。

倉石氏は、門外の考古学はあえて省いて、文献上で日本人が石を始めて意識した記述を取り上げていく。

その最初は『古事記』となる。
イザナギとイザナミの国造り神話において、国々を産んだ後に生まれた石土毘古神と石巣比賣神の二柱。

物語順としては、これが石を意識化した初出である。

少なくとも、『古事記』編纂時点では「石・土」「石・砂」という組み合わせで、生活世界の中で意識されていたことは疑いない。

ここで倉石氏は、一つの私見を提示している。

――「ここに認識されている『石』は、具体的な機能や形を持った存在としてではなく、無機物として遍在する風景の一部としてであり、いわば景観としての存在だった。」

一つの考えとして理解できるが、そうとも限らないのではないだろうか。
石土毘古神・石巣比賣神という神名として登場するのであれば、単なる風景や景観のイメージではなく、神格化されたモチーフに石が使われていることに他ならないのではないだろうか。

また、物語順としてはこれが初出かのように思えるが、『古事記』は「記述された順=時代制作順」という理屈と証明されるものではなく、記述が冒頭だろうと最後の方だろうと、基本的には時代の先後順は不詳であり、同時期として一括すべき性質のものだろう。

現に、倉石氏はそのすぐ後で、同じ『古事記』の「湯津石村」「石折神」、それに対応する『日本書紀』の「草木・沙石の自づからに火を含む縁なり」といった記述を紹介し、神話の中で石が火と結びつき、石が火の神のイメージを含むことを指摘している。

そうであれば、『記紀』における石の記述は、風景・景観のイメージとしても、神格化したモチーフのイメージとしても扱われているという理解で良いと思う。

なぜ、石を結びついたのはあえて火だったかは議論の余地があろう。
倉石氏は「生活に欠くことが出来ない火」と表現したが、それがなぜ石で代表されるのか、単にこれまでの民俗学の蓄積による竈神的な発想、性神的な発想などの中だけで可能性を狭めたくはない。

三 遮る「石」


『記紀』の黄泉国神話に登場する「千引の石」。
黄泉の国とこの世の境界を塞いだ石である。

これは「道返之大神」「黄泉戸大神」と神格化されていることから、石は「返」「戸」の性格を有し、遮る機能を持った石として、単なる景観を超えたイメージを込めていると言える。

記紀神話には同様の用例として天岩戸があり、ここで傾聴すべきなのは大舘真晴氏の研究(同氏「いわと」『万葉集神事語辞典』2008年)を引用して、『万葉集』の「岩戸」の用例は ①高天原の出入り口にある戸 ②墳墓の出入口にある戸 の2種類があることを指摘したことである。

黄泉国神話の千引の石に通ずる、生者の世界と死者の世界を分かつ扉としての石のイメージ。
重い石だからという単なる戸としてだけではなく、ここには、重さという石本来のイメージからは離れた聖俗の結界のイメージが読み取れる。
天岩戸の高天原の出入口ということも考え合わせれば、正確に言えばあの世だけではなく、異界・他界との境を担う働きを帯びていると認識した方がより適切だろう。

一方、宗教的なイメージとしての石ばかりを取り上げるのは、一面的に過ぎる。

倉石氏は『万葉集』や『祝詞』『出雲国風土記』『日本霊異記』などの文献のなかで、旅の道中や開墾の中で大きな石が障害となって難儀している旨の記述を複数紹介している。

景観としての岩石が、何かしらの作業の途上で「障害物」となった場合、景観としての存在を超えた意識の対象となることを指摘している。

元々は重く大きいという石の性質から由来する「障害物」という性質なのかもしれない。
しかし、小さい石でも「遮る」「塞ぐ」という用途を持つ記述として、神功皇后の鎮懐石伝承にも言及されている。
鎮懐石は、腰にしのばせるほどの小さな石だが、これで陣痛を鎮め出産を「遮った」機能を持つ。
石の大小からは解き放たれた次元でのイメージが、当時すでに進んでいたことが示されているとみて良いだろう。

四 モノとしての「石」


倉石氏は『広辞苑』を引きながら、石の概念について次のように規定している。

  • 巌(磐石):石の大きなもの。その中でも、それ自体に関心があるわけではないが、風景の中で意識されている岩のことを特に巌と呼ぶ。
  • 岩:石の大きなものという意味では上の巌と同義だが、風景としての巌から一歩進んで、特定の意識・関心の対象となったものを指す。
  • 石:岩より小さく、砂より大きい塊。
  • 礫 :小さい石。
  • 砂:細かい岩石の集合。

当然ながら、倉石氏もこの分類は数値化できるものではないということを承知の上で述べている。
倉石分類の特筆すべきところは、巌と岩の区別を意識の段階で分類できたという点である。
管見では初めて見る着眼点で、確かに有用な差であると目が開いた思いがした。

倉石氏は、さらに注意深く、風景・景観に溶け込むものは巌だけではなく、石や礫においても歌や記述の中で景色のモチーフとして取り上げられていることを紹介している。

このような石は、目に入ったり歩いたりする中で目に入る景観として意識され、無意識化からは浮上する存在だが、あくまでも無機物のモノ(物体)の一部としてあるにすぎないと、意識の段階について注意を促している。

これについては、私は個人的には「景観=無感情」とは思いにくく、歌で詠まれるなどは美的観賞の価値観が入り交ざっているのではないかと思う。
倉石氏が先述した「障害物」として登場する石たちも、それが宗教的感情と相通ずる「塞ぐ]意識の一例として聖と俗の狭間に立つのだとしたら、それはもうすでに単なるモノを超えている意識なのではないかとも思うのである。

倉石氏が指摘するような、いわゆる本当の風景・景観とは、おそらく文献に記述されないレベルでの無意識であり、文献研究からは追えないような段階のものではないかと考えるが、いかがだろうか。

また、倉石氏は巌・岩・石・礫までをいわゆる石の範囲としているが、砂を紹介しながらなぜか砂を除外している。
かつて野本寛一氏が砂は石の極小と表現したことを取り上げるまでもなく、砂はそれ単体のイメージだけではなく、立砂の存在や砂を用いた神事があるように、砂を集合させて石に類する造形で祭祀物にも昇化している。そこに、砂と石との差はないはずだ。

五 コトとしての岩石


ここから、本稿のメインとも言うべき「モノ」と「コト」の概念がさらに深化する。
誤解がないように、倉石氏の記述をそのまま引用する。

――「モノとしての石が、コト(行為)によって、特定の役割を果たしたり、意味を持ったりすることがある。」

これを以て、モノとしての石はコト化するというのが本稿で展開される核心部である。

倉石氏はその例として、井戸や墓や城などの構造物をつくろう(=コト)とした時に、モノだった石が建材としてコトになるとみなす。

構造物の建材は人工でなくても、自然石の中でもたとえば天皇や貴人が伝説・祭祀の中で立つ「お立ち石」があるという。

石に立ったり上ったりするという人間の行為(コト)が、なぜか儀礼的な行為や象徴的な行為として登場する。
神の来臨する磐座のようなものも、同じく神の行為(コト)があって、モノとしての石が宗教性や重要性を帯びる。
これらをコトとしての石としている。

六 コトとモノとしての「石」


動物や生活用具などの事物に形が似ている石が、過去の伝説や色々な事物に擬せられることがある。

『出雲国風土記』に登場する猪石の伝説や、神や貴人の食べ物の粒が小石になって残るという記述、星が地上に落ちて石となったという話は、石が過去のコト(行為)に関わる記憶と結びつけられることで、モノを超えた意識対象となった。

これらについては、私もかつて岩石祭祀の分類で「聖跡型」として規定したグループの事例と重なるところがあるが、倉石氏はこれらをモノとコトという2つの位相で把握を試みている所に新しさがある。

七 ココロとしての「石」


さらに、ここでモノとコトに次ぐ次の位相として「ココロ」の概念を倉石氏は取りあげる。

整理すると、モノは景観の一部としてとけこむもの、コトは行為の対象となったもの、ココロは人の感情・精神に作用する存在となった石である。

たとえば日本神話の石長比賣は、「命長かれ」と祈って差し出された存在であることから、石を恒久不変の力を持つ存在としてまで特別視した例とされている。

君が代のさざれ石や、長野県玉依比売神社の児玉石神事、全国各地の石成長譚なども、石が成長したり新しい命を生みだしたりするという点で、石の持つ性質がとうとう人の感情の領域まで影響したココロの事例である。

それの最終的な姿が、石神である。
ここでいよいよ、道祖神との比較で取り上げられた石神信仰が登場する。
人にとっての精神的なよりどころとしての影響を最大限に放つ石神というイメージは、まさに石のイメージがもっともココロの領域に進んだ存在なのだということを、倉石氏は示したかったのではないか。

第三節の「遮る石」 で登場した宗教的な石たちも、論文の最初の方で登場したから混乱しやすいが、人の感情に働きかける力を持っているという点でココロに昇化している石も入っていると言えるだろう。

八 石と民俗文化


ここで考察の方向は変わり、これまでの民俗学研究の中での石を概観する節を挟む。

柳田國男・折口信夫ほか民俗学の大家たちの研究を引きながらも、倉石氏が提言する重要な問題提起とは、「その関心は、信仰的な側面に引かれがちであった」という一文に集約されている。

信仰だけが、伝承や文化を代表するものではない。
生活文化のあらゆる事象の中の一つに、信仰という世界があり、 石も生活文化全体の中で改めて調査・研究され、それを経た上で信仰の石も位置づけられるべきではないか、と警告するのが倉石氏の問題提起だ。

これについて、私も深く同意する。
信仰を研究するために、信仰のことだけを追い続けるのは早計である。
信仰以外のあらゆる解釈可能性を認知していないと、信仰と信仰でないものの違いを正確につかむことは難しいのではないかと、私も2005年に書いた論考の中で触れたことがある。

私の2011年の拙著も、倉石氏にそのような文脈で「『石』一般の中に信仰対象の『石』を位置づけているところに、従来の研究にはなかった新しい視点」が見られると評価をいただいたが、私自身、いまだ信仰を研究するために信仰分野から手を広げた生活文化全体に調査を広げられていないのが実情である。いまだ理念だけ先走っているのである。
それほどに、信仰研究は遠回りしないと難しい。
(私が現在、石の哲学を追いかけているのはこの考えの下にある)

また、私を取り沙汰するまでもなく、このような生活文化全体で位置づけようとした石へのまなざしは、すでに野本寛一氏『石と日本人』(樹石社、1982年)の中に見つけることができる。
私も指摘したが、倉石氏が指摘するように野本氏の石に対する記述の時々には、信仰ありきで引きずられた飛躍が見られることは否定できないが、それは半ば時代的制約のようなものとみなせる。野本氏の最大の関心は信仰心にあったが、石へのまなざしは生活用具まで抜け目なく網羅し、それこそ石どころか砂までおよんでいた一面も伝えておきたい。

いずれにしても、生活全体の中で「石」を位置づけなおす取り組みを始めなければいけない。
倉石氏はその位置付けを次のようにまとめた。

――「『石』は、人の外界に対するモノ・コト・ココロという三様の認識の仕方によって、異なる様相を呈するのである。それは三つの様態が、入れ子状に認識されるのではない。「石」には三様の様態が内在し、認識の仕方によって三様の様態の内のいずれかの様態が、人との関わり方によってその都度顕在化するのである。」

実際の論文には、これを図解した「石」のイメージ関係図が掲載されている。

わかりやすい例として、倉石氏は「祭りにおいては神として祭祀対象とされる『石』が、普段は景観としても認識されず、モノでもなく、コトともかかわらない」ケースを挙げている。
私も、この現象をどのように説明すべきかを考え、拙著で岩石の認識段階と機能分類のなかで、それが複数の要素を持ったり時期ごとで変遷したりする旨を述べた。

入れ子状に石の認識を規定したのも私だった。
私の構造の課題で言うと、私は発展段階的な図式で述べたため、一度その石が神聖視の領域に入ると、もうそこで固定化され、神聖視以外の領域に移ることができないかのような錯覚が確かに起こる。
私の文章化できていなかったところの思いとしては、その認識段階は人によって違うだろうし、時代ごと、時期ごと、もっと言えば時間ごとに変動して良い(つまり、時間と人という2つの基準を変えれば認識や類型は変化して良い)という考えではあったが、類型分類をしてしまう以上、極めて固定化されやすい危険をはらんでいたことは否定できない。

倉石氏のこの認識法は、柔軟性が増したものと理解することができる。
1つの石が、時代ごとや人ごとによって認識が異なるというような大きな括りだけではなく、たとえばある特定の一人の人の中でも、祭祀中と祭祀していないときで石への意識が異なる、朝と夜では意識が異なる、目に見えている時と見えていないときでは意識が異なるという、極めて微細な人と石の関わりが図式化できるのである。

これは、リアルタイムな人の感情の動き合いを表現できるモデルとなっている。
石を他の題材に変えても、通用する考え方だろう。

しかし、この尺度を用いて1つ1つの岩石の事例を総当たりしていったら、現状ではとりあえず私の手には負えるものではないことも付言しておきたい。まさに人の数だけ、時間の数だけ類型分類できるというパンドラの箱である。
(だから、私は無意識的に限界を感じ、発展段階的な入れ子の図式で考えたのかもしれない)

まずは、一つの事例を掘り下げて考察する時に、倉石氏のこのイメージモデルを私も参考にしていきたい。

九 石神と道祖神


第一節で問題提起した道祖神と石神の問題が、この最終節で帰結する。

道祖神となった石は、倉石氏に言わせればその時点でまずココロにかかわる石であったということになる。
特に、丸玉や性石・奇石の形をした道祖神は、祭礼がない平常時においても景観の中に埋没しにくく、ココロに関わる信仰が色濃いからだと指摘する。

像容碑や神名碑の形をとる道祖神も、本来形の見えない「たま(魂)」を顕在化するための一つの手段だった。
景観としての石を、どうにかこうにかして人が顕在化することで、人のココロの中に入ってくる。道祖神は、その傾向が高い存在なのかもしれない。

倉石氏はその一例として、石祠を道祖神としてまつる例にも触れている。
祠は資材であるので、祠は祭祀施設でその中に内在する「たま」が信仰対象であると捉えるのは私も同感なのだが、当事者は実際そこまで分けて考えていたのだろうかという疑問もある。
石に神名を刻んでその石を信仰対象として顕在化させたように、祠も神名や神仏図像と同じく「神が顕在化した形」の一つのあり方と直感的に信仰者が意識せず受けとめていたならば、祠も信仰対象の姿として認めることが、より実情に即しているのかもしれないとも思う(物品が擬人化されるような心理で)。

これは少し議論の方向が違う話なので、もう一度本筋に戻す。

倉石氏は、道祖神碑と自然石が並祀されている例をいくつか挙げ、岩石信仰由来の石と道祖神信仰由来の石がある段階で複合化・重層化し、道祖神は顕在化しているからずっと道祖神としての信仰を歩みつつも、自然石の岩石信仰的なココロがすべて失われたわけでもなく、道祖神信仰の中で併存しつづけてきたとまとめている。

石神信仰における自然石、道祖神信仰における自然石は、そういう意味ではどうにかこうにかして人が顕在化させようとした石というより、いやでも顕在化されてしまった石なのか。
自然物でも、巨石や奇岩、立地的な特徴があれば、まだ理由に説明はつく。嫌でも顕在化されてしまうからだ。

そうすると、最終的に謎が残るのは、ある人から見たら意識もしないような景観的な自然石が、なぜか特定の人にはいやでも顕在化され、ココロの対象となっている事例だ。
特定の人と言い切れる理由は、その人々がいなくなると、あっという間にただの石と化してしまうケースに多く出会ってきたことからも言える。
(忘れ去られた信仰、なくなった石などはその典型)

折口信夫が言うところの「巫呪者」の感覚がココロ化する瞬間についても、常人であるはずの研究者がもっと歩み寄っていく必要がある。

信仰の当事者、特に信仰の発起人は、大多数の人が見落とす、岩石の何かしらの側面に"過敏に"ココロを影響していると思うのである。

本稿で学んだモノ・コト・ココロという視点から、宗教者だけでなく、哲学者、文学者、芸術家たちの「常ならざるココロ」を探究することで、岩石信仰に近づいていきたい。

2017年9月17日日曜日

路傍の自然石考―東海道の夫婦石/妻夫石/妋石―




四日市市文化協会の会誌『パッション』61号(2017年9月15日発行)に、「路傍の自然石考」と題した文章を書きました。

『パッション』は、同協会ホームページで全号オンライン公開されています。

そのうち、最新号も掲載されるのではと思いますので、よろしければこちらでご覧ください。


故あって、前・後編の2回に分かれて掲載されます。

オチを次号に回すという大げさな構成ですが、1ページのミニ記事ですので、軽い気持ちで目を通していただければ助かります。


書いた動機を少しだけ。

四日市市の情報誌ですから、四日市市の自然石を取り上げて、その石の歴史に思いをはせようというのがテーマです。

四日市は地元ですが、だからこそ、四日市にはそのような石はないのではと思っていました。

ただ、この1~2年、郷土資料をざっと読んだだけでも、今のところ4例の岩石信仰の事例を数えることができました。
いつものことですが、本当に岩石信仰は身近なところに横たわっているんだなあ、ということを思わされています。


2017年7月4日火曜日

与喜山―山の力と、山と人との距離感の変遷―

雑誌『宗教民俗研究』第26号に論文を発表しました。

日本宗教民俗学会が発行する年会誌で、2016年度分がこの6月に刊行されました。



奈良県桜井市の長谷寺に隣りあう与喜山について掘り下げた論考となります。
2002年から足掛け15年、断続的ではありますが調べ続けたフィールドワークの結果を、紙幅の限り詰め込みました。
いま書いておかないと忘れられてしまう情報を、いくつか後世に残すことができたと安堵しています。

ただ、専門誌ですので、目にする機会は少ないかと思います。

もし本稿に興味のある方がいらっしゃったら、本ブログ最下部の「お問い合わせ」フォームから、メールアドレスを添えて「与喜山論文希望」の旨をお教えください。

論文のpdfを、記入されたアドレスまでお送りしたいと思います。
一人でも多くの方に関心を持っていただけたら著者として光栄です。


2017年2月17日金曜日

昭和京都名所図会 全7巻

高度経済成長期を境に日本の風景は一変したといいます。

風景だけでなく、人々の観察眼や興味関心も様変わりしたように思えます。

この本を読むとそう思わされます。


昭和京都名所図会と名付けられたこのシリーズ。
全7巻14000円のところを5000円以下で見つけたので揃えて買ってしまいました。

京都の名所旧跡を作者お手製の絵図と共に紹介する、今風に言えば観光ガイド。
でも、今の観光ガイドとは目の付け所も取り上げ方も違います。
題名通り、江戸時代からの流れを汲む名所図会の香りで雰囲気は統一されています。

川の淵の名前や逸話など、現代人がスルーする情報が多くのせられています。
ここでしか言及されていない「仙遊石」など、岩石祭祀事例も多数収録。

こういった情報は、今の観光のメインストリームからは完全に除外されています。
除外されているというより、情報と興味関心が次世代に受け継がれず、断絶しているんでしょうね。

私が生まれていない時代の空気を閉じこめているわけで、この本を読むことで、生まれていない時代の歴史を追体験できます。
いま目の前で見ている京都とは違う京都像の視野を広げてくれるという意味で、京都に惹かれる方にお勧めします。

2017年1月3日火曜日

向井一雄『よみがえる古代山城』を岩石信仰の見地から読む

古代山城研究会代表の向井一雄氏の新刊
『よみがえる古代山城: 国際戦争と防衛ライン』(歴史文化ライブラリー440、吉川弘文館、2017年)
に、神籠石を巡る話が取り上げられていたのでお知らせします。

全体を通しての所感はAmazonレビューに書いたのでそちらをご参照ください。

http://amzn.asia/2GAnDkE

この内のp28-p35が「神籠石論争顛末記」と題され、神籠石が「イワクラ(磐座)」かどうかについて頁を割いているので、磐座に関心のある方は一読をお薦めします。

交合石、皇后石、皮籠石など、様々な表記をされる「こうご」「かわご」石は、その名前の意味、性格を巡って、岩石信仰の1つの謎としていまだ横たわっています。

僅かですが、神籠石が何かであるかについて、向井氏からヒントとなる考えも若干踏みこんで記されています。
今後、このテーマに対してさらに本格的な論考が発表されることを待ちたいと思います。

個人的には、すべてが「磐座」の一語に収斂されるような存在なのかを疑問視しています。
そうであるなら、そもそも「こうご」「かわご」で一括されるグループとして生まれずに、磐座の語でまとめられていればいいからです。

機能論的な角度だけからではなく、発生当時の歴史的背景の中で論じられると、それは他の岩石信仰の歴史解明にも寄与するのではないかと、期待しています。

2016年12月1日木曜日

平津豊『イワクラ学初級編』(2016年)書評

イワクラ(磐座)についての最新書となるので即購入しました。


著者の平津豊氏は、イワクラ(磐座)学会理事です。

正式な書籍タイトルは『ギザの大ピラミッド、ナスカの地上絵より精緻!地球最古の先駆け文明【イワクラ学初級編】縄文の壮大なる巨石モニュメント』(ともはつよし社、2016年11月刊)

長い(笑)
平津氏のブログ(10/30記事)を見ると、キャッチコピーは出版社がつけたそうですが、書誌情報泣かせですね。

ブログに先行公開されていた下の目次に惹かれました。
  • 「磐座」という言葉
  • 「磐境」・「神籬」という言葉
  • 「神奈備」という言葉
  • 「石神」という言葉
  • 「磐座」の分類
  • イワクラ(磐座)学会の定義
イワクラ(磐座)学会の最新定義も気になっていたので、この本で私自身のイワクラに対する考えもアップデートしておきたいと思いました。

2016年11月28日月曜日

『日本の石の民俗』全六巻(明玄書房)

堀田吉雄・橋本鉄男・印南敏秀・小谷方明・酒向伸行・鹿谷勲・吉川寿洋『近畿地方の石の民俗』(明玄書房、1987年)を購入。


200ページ弱で、そこまで分厚い本ではありません。


県別に、各県の専門家が石の民俗を執筆しています。

民俗事例ごとに項目を分けて書いています。
写真の目次を見るとすごそうに見えますが、そこまで一例一例の詳細は書いていません。
民俗調査報告書のように、研究に引用できるほどの詳細さはありません。
そういう場所もあるのか、と事例リストに入れるにはじゅうぶん。その事例を知る手始めの書ですね。

あと、所在地などがはっきり書いていないことが多く、情報検索性は正直低い。
昔の文献によくある、各事例を筆の進むままに書き連ねていく内容です。

でも、正直、この本でまだまだ知らない事例に出会いました。感謝以外の何物でもありません。

そもそも、こんな本が刊行されていたことを知れたのが嬉しかったです。
石の文献を探して15年強。
もう石の民俗事例集は出尽くしたと思っていました。
まだ出会えますね。


『日本の石の民俗』全六巻のシリーズの1つでした。地方別に巻が分かれています。
近畿地方で4800円。全巻だと31800円・・・。
どうしようかな(笑)


2016年11月10日木曜日

参考文献~祭祀・信仰研究全般~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~事例研究~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰に関する一般書~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~オンライン文献~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰のテーマ別研究~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰の古典的研究~

旧ホームページに載せていた参考文献リストをもう一度UPしてほしいというリクエストをいただきましたので、このブログに再掲します。

旧サイトからコピーするだけなので楽です。
ただ、量が膨大なので、ジャンルごとに分けて掲載します。
まずは、岩石信仰を取りあげたバイブル的な位置付けの重要文献をご紹介します。

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2016年10月1日土曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(後編)


前編からの続きとなります。


■笹生衛氏が切り開いた祭祀研究の新地平

笹生衛氏は、考古学が旨とする資料第一主義を徹底され、長年停滞していた祭祀考古学の諸研究の中で、資料性・説得性の高い新研究を打ち立てられています。
古墳時代の祭祀研究をテーマにする人たちにとっては、今もっとも耳を傾け、議論にすべき研究が詰まっていると私は思います。

笹生氏の独創性を示す部分を、下記論文から紹介したいと思います。
※以下、括弧内は笹生論文から引用

笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

まず、笹生氏は「神道考古学を提唱した大場磐雄氏は、古墳時代の祭具の中心に石製・土製模造品や手捏土器を位置づけた」が、「昭和50年代以降、祭祀遺跡・遺物の資料が増加した結果、再検討が必要となってきた」と、従来の学説からの批判的発展を提起しています。

笹生氏が注目するのは、「5世紀前半から中頃、初期の祭祀遺跡の中で保存状態の良好な事例では、石製模造品以外に一定量の鉄製品が使用されていたこと」と、「さらに、紡錘車と初期須恵器が伴うこと」です。
これらは「中国大陸・朝鮮半島からもたらされた当時としては最新の技術と素材で作られた最上の品々だった」と評価しました。なぜ、これらの遺物が祭祀用とされたのだろうかという従来の疑問に対して、単に実用/非実用といった使い古された議論から脱却し、歴史的位置づけを鮮明にしたのが笹生氏です。

もう1つ、氏によって新地平が開かれた古墳時代祭祀の議論は、葬と祭の分化・未分化の問題です。
笹生氏は「埼玉県行田市埼玉古墳群の稲荷山古墳第1主体部から出土した辛亥年銘金象嵌鉄剣に刻まれた『上祖』の文字」に着目し、「『上祖(とおつおや)』『祖(おや)』の文字は、記紀・『風土記』では古代氏族の系譜で起点となる人物を指す」と指摘します。
ここから、古墳時代における古墳葬送儀礼には、祖霊信仰の観念があったことが認められます。確かに、金石文という古墳時代当時の文字資料が「祖」を使ったことには、有無を言わせない説得力があります。

笹生氏によれば「古墳に副葬された鉄製武器・武具、農・工具、鉄素材の鉄鋌は、5世紀中頃までに成立した祭祀遺跡の鉄製品と基本的に共通」することから、「『上祖』『祖』への祭祀と、自然環境に由来する『神』への祭祀は、別系統で存在しながらも、ともに貴重な品と飲食を捧げる共通した形で行われたと考えてよいだろう」と論じました。


2016年9月30日金曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(前編)

■はじめに

いつかこの問題について触れようと思っていました。

主に祭祀考古学の分野で、神観念の研究は進展しています。その嚆矢となったのが國學院大学教授・笹生衛氏です。
笹生氏は、民俗学者の折口信夫が提唱した依代の概念や、かつて同じ國學院大学教授の大場磐雄氏が形作った原始神道的世界観に関して批判的検討をおこなっています。

國學院大學において、神聖な権威になっているであろう大場磐雄氏に対して、批判的な分析を加えられたその意志に、まず私は並々ならぬものを感じます。真に学者だと思います。

ここでは、web上に公開されている以下の論文を参照して、考古学分野以外にあまり広まっていない現今の研究状況の紹介と、私の感想を述べたいと思います。


笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

時枝務「神道考古学における依代の問題」(『立正大学大学院紀要』第31号 2015年)
http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5656
(笹生氏の研究を受けた形で、同じく旧来の民俗学・考古学における依代について再検討している)


2016年6月11日土曜日

基盤岩信仰~京都市北部に岩石信仰が芽生えた理由を地質面から解説する~

記事の紹介です。

京都盆地の基盤岩: 露頭する岩石、磐座信仰
(京都高低差崖会ホームページより)

京都盆地は、北へ行けばいくほど地中の岩盤(基盤岩)と地表との距離が浅くなります。

だから岩倉に代表されるように、露岩をまつる信仰の場が複数残っているんですね。

船岡山の露岩群もこの事例に入るのかな。

基盤岩信仰という言葉、勉強させていただきました。

2016年5月31日火曜日

石の本リスト2016 in 山口

山口県立山口図書館が良いページを作りました。

ニュースを読む「地球のかけら『石』の世界 ~『県の石』制定~」

石にまつわる本を紹介しています。

石の本にはアンテナを張っているつもりでしたが、特に気になるのがこの3冊。

  • 石 伝説と信仰     長山幹丸‖著     秋田文化出版     1994.1
  • とちぎ石ものがたり 人と石の文化史     栃木県立博物館‖編集     栃木県立博物館     2007.10
  • 日本の名随筆88 石         作品社     1990.2

3冊目の随筆集の目次が、版元の作品社のホームページにありました。

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【内容目次】
會津八一  一片の石
青柳瑞穂  石皿との出会
網野菊   石
石川淳   武田石翁
井伏鱒二  石臼の話
上村貞章  石の表情
宇佐美英治 殺生石
小川国夫  ロワール河畔 ジェルミニ・デ・プレ、アゼール・リドー、キュノー
尾崎方哉  石
折口信夫  石の信仰とさえの神と
唐木順三  石
北畠五鼎  子石と卵石
北畠五鼎  石眼
北畠雙耳  子石と卵石
北畠雙耳  石眼
草野心平  石
久門正雄  愛石志(抄)
小泉八雲  日本の庭(抄)
佐藤宗太郎 恐山の石
澁澤龍彦  石の夢
薄田泣菫  石を愛するもの
竹山道雄  竜安寺石庭
豊島與志雄 狸石 寓話
中勘助   独り碁
中沢けい  ひでちゃんの白い石
奈良本辰也 萩の武家屋敷の石垣 山口
長谷川四郎 石の中の魚
別所梅之助 石を積む
堀多恵子  リルケの墓で
堀口大學  石 [巻頭詩]
森銑三   石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭
矢内原伊作 石との対話(抄)
山本健吉  石位寺の石仏

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すごくおもしろそう。

私の今の興味関心を満たしそうなタイトルがずらりです。

郷土資料に類する本や、私家版にはまだまだ知らない世界が広がっています。



2016年5月14日土曜日

文献紹介 本間久英『石の魔力で夢をかなえる』(マガジンハウス、1996年)

 筆者の本間久英氏は、下の論文で先日紹介しました。

文献紹介 本間久英「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」(2002年)

 専門は地質学者という本間氏。
 上の論文も専門をやや飛び越えたものでしたが、今回紹介する『石の魔力で夢をかなえる』も、なかなかの攻めのタイトル。

 タイトルと筆者経歴から、石の魔力を理化学的な視点で解説してくれる新境地の本かと勝手に想像していました。
 2割ぐらいはその内容もありましたが、予想よりもパワーストーンの概説書でした。水晶など、宝石の記述に偏り気味です。いわゆる花崗岩など、ありふれた岩石はスルーされています。

 見出しの中にはチャクラやヒーリング、チャネリング、ダウジング、水晶占い、気功・・・と、1996年当時のブームの香りをふんだんに反映した内容。

 これはこれで貴重ではないでしょうか。
 というのも、最近、あまりこれらの言葉、聞かなくなったと思いませんか。
 数年前のスピリチュアルブームで、この業界の空気も完全に変わったと感じます。
 はやりものというものも、諸行無常です。

 本書を執筆するにあたって、本間氏はおそらく当時のはやりものを渉猟して、それに立脚したのだと思います。
 たとえばダイヤモンドは「理不尽な命令をはねのけ、自分が正しいと信じている方向へ進めるように持ち主を導く」(p50)と断言し、アマゾナイトは「冒険と夢の石」で「見果てぬ夢を追いかけて、その実現に努力する」(p67)効果があり、オブシディアン(黒曜石)は「常に戦う心を持ち続け、冒険を恐れない人」(p73)にふさわしいといいます。
 「~という」と伝聞形ですが、その根拠や出典がはっきり書かれていません。

 こう見るとトンデモ系と評価付けられかねないのですが、そこは本書の「はじめに」と「あとがき」を読むと、本文との温度差があり、味わい深いものがあります。
 本間氏は「わかって書いている」節があります。科学者としてこのような本を書いていいものか逡巡したことや、パワーストーンの効能は科学的な立証はないと断りを入れています。全体的に初心者向けの文章構成にしていることや、わざとらしいくらいにハウツー本を意識した手引き的要素が濃い。いずれも、わかってやっている感が漂います。
 本間氏の言葉を借りるならば「そのようなことがあっても不思議はないな――」(p164)というスタンスです。

 では、本間氏をそう思わせ、本書を書き上げた動機とは何なのか。
 それは周りの人に石にはまる知人や教え子が多く、彼らから聞く話に、石を持ってから体が治ったり、子供が生まれたり、探し人が分かったりしたという奇跡的なエピソードを複数聞いたことが大きいようです。
 それはもちろん、石とエピソードの因果関係の裏取はなく、また統計的な根拠にも欠けるものでしょう。本間氏もすべてを信じすぎではないかと思いますが、周りがそういう人たちで固められていたのなら、これも1つの心理として自然です。

 私は、周りにそういう人もいなく、自分自身にそういう体験がなかったので、まるで本間氏の世界が別世界です。 世界が違うのです。

 言うなれば、これは本間氏にとっての石の哲学書です。
 もう少し正確に言うなら、1996年の時代の香りを吸いすぎた、石の哲学かもしれません。
 この「世界の違い」を違和感を抱きながらも読み、理解するという作業は、哲学的です。私にとっての本書の楽しみ方とは、ここにあります。

 コラム「食べる石」は、石が漢方の世界では薬として食べられていたことを概覧するもの。このページは知識面で勉強になりました。
 こういう学問的内容もいきなり登場するのが本書の特徴。

2016年5月13日金曜日

書評 比田井克仁氏論文「東日本における磐座祭祀の淵源」を読んで

1、はじめに

 比田井克仁氏の論文「東日本における磐座祭祀の淵源」は、早稲田大学考古学会の発行する機関誌『古代』第118号(2005年3月刊行)に所収されています。

 磐座をテーマにした考古学の論文は、最近ではほとんど見なかっただけに驚きました。それだけに、この種の研究ジャンルでは極めて貴重な研究論文と言えます。私もさっそく読んでみたわけですが、読み進めていくと「初めて出会う解釈」が多く、少なからず当惑しました。
 もちろん賛同した部分も多くありました が、どうやら岩石祭祀に関わる基本的なところで考え方の相違があるようで、どうしても納得のいかない部分もありました。

そこで私なりに培ってき た岩石祭祀研究の立場から、比田井氏論文に触発されて色々と考えたことをまとまりもなく書きました。
 批判にもなっていないかもしれませんが、磐座・磐境に といったものに対してこういう風に考えている立場もあるんだよということを、この場を借りて少しでも表明できればと思います。


2016年4月5日火曜日

文献紹介1 本間久英「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」(2002年)

元は『東京学芸大学紀要』に収録された同大学教授の論文。
今は東京学芸大学リポジトリとしてオンライン公開されている。下記リンクで参照できる。

http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/42575/1/03716813_54_06.pdf

題名の通り、埼玉県内で民話や伝承の中で語り継がれている民俗学的な岩石の事例を収集している。
埼玉県内の寺社、自治体に問い合わせて、回答を一斉に集め、それを紙幅の限り載せたという内容のようだ。考察は最後に少しあるが所感を出るものではなく、基本的に資料集として読むのが適切だ。

美里町猪俣にある「猪俣の七石」に関する情報が、他では見られないとても具体的な内容を掲載しており、とても興味深い。

2002年当時、この論文を知っていれば、埼玉県在住時代に大いに役立っただろうに。そう思ってしまうが、リポジトリに入ったことで、やっとこの論文の存在を知ることができたのを幸としなければならない。

筆者の本間氏は地質学者で民俗学は畑違いだが、地質学者として岩石に興味を持ったのか、過去1995年にも「民俗学的文献中の石に関する資料」という論文を同紀要で発表している(下記リンク参照)

http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/10591/1/03716813_47_14.pdf

さらに、本間氏は「石の魔力で夢をかなえる」(マガジンハウス、2006年)という一般向けの著書を出している。
理系の学者が、石の持つ魔力や魅力について自らの思いを語った内容のようである。
1人の人間が石に抱く哲学ということで、機会があれば入手して読んでみたいものだ。

論文中、石(岩石)と2つの名称を併記している。岩石というのが地質学者らしい。
石と岩石までいくなら、岩も併記しないと不公平感がある。むしろ私は岩石で統一してよいと考える立場である。
岩石は地質学に限る用語ではなく、岩と石を包括する総称として最も客観性が高いと考えているからだ。