2018年7月29日日曜日

Twitterを始めました+その理由

遅ればせながら、本日からTwitterを始めました。




始めた理由は2つです。
長文になりますがすみません。

1つ目は、仕事でTwitterを使うようになったので、Twitterへの抵抗感が(いまさら)なくなったこと。

2つ目は、こちらのほうが喫緊の課題だったのですが、このブログにお問い合わせの方とのメール上の送受信が最近うまくいっていないのでは?と感じたこと。

本ブログの下部にはお問合せフォームがあり、時々、こちら経由でお問い合わせをいただきます。
これはGoogleのBlogger経由で私のフリーメール(旧:hotmail/現在:Gmail)に届きます。

これはお問合せフォーム経由なので、確実に私は受信できている(と思う)のですが、それ以降のお相手へのやりとり(送受信)がうまくいっていないようなのです。

私から返信をしても、お相手から返信が来ないタイミングが多いなと感じることが多いのです。
1回2回はやり取りできても、3回目ぐらいでやりとりが途絶えることも。
私の話がつまらなくて、返信不要レベルという可能性もありますが(苦笑)

私のメールが、お相手の方に届いていないのか。
はたまた、もしかしてお相手の方はメールを送っているのに、こっちが届いていないのか?
最近、その辺りが疑心暗鬼なのです。



そうこうしていたら、知人の方からhotmailは不通になりやすいよという話を聞きました。
たしかに、hotmailを使っていた某学会のメールアカウントも、今年に入ってからhotmailをやめたなあと思いだしました。

web検索してみると、同じ悩みを持つ声が出ます出ます。

hotmailで受信できない-マイクロソフトコミュニティ

hotmailは特に注意!フリーメールの送信・受信トラブル対処法

迷惑メールフォルダに入るレベルならまだ対応できるのですが、迷惑メールにすら入れてくれないのが現状。その切りすて判定基準もよく分からないようで、

  • URLやリンクつき文章が入っているとアウト
  • 添付ファイルがついているとアウト
  • メールアドレスの文字列によってアウト
  • スパムメールと似た文体をしていると認識されたらアウト

返信するとき、メールのヘッダーが自動引用されていたら、それだけでもうアウトじゃないでしょうか。

そんな経緯で、今月に入って問合せフォームの宛先をhotmailからGmailに変更しました。

ですが、最近はYahooメールやGmailなど他のフリーメールも謎判定基準で、正常なメールの送受信を私たちの知らないところで闇に葬りさっていることが多々あるようです。

ではプロバイダメールなら安心かというと、これも迷惑メール基準が厳しくなっている昨今、ユーザーの関知しない不定期なタイミングで基準見直しが行われている様子。
携帯のキャリアメールも以下同文。



つまりメールという、ここ20年以上は使われていたインターネットユーザー同士のコミュニケーション手段が、もう信用できない時代に入っているのです。

私が返信をしない失礼な人になるのも不本意ですし、皆さんを疑心暗鬼することも無礼です。

そこで今回、コミュニケーションの間口を一つ広げ、Twitterアカウントを作ってみました。
Twitterユーザーの方は、今後こちらでご連絡いただければうれしいです。



2001年、インターネットの自由さ素晴らしさに触れた私は、自分自身が公開した情報は誰でも平等にアクセスできるようにしたいと考えて、登録しないと見れないSNSではなく、無料HP、そして誰でも見れるブログをつかってきました。
でも、無料HPの時もそうでしたが、ずっと同じサービスで提供しようと思っても、時代が変化しているので、新たに登場する制約やトレンドに合わせて、形態を変えていくしかないと感じるようになりました。
そもそも無料で使わせていただいている立場ですしね、出すぎたことを言いました。

Twitterなら、自分さえ鍵をかけなければ、誰でもアクセスして見れるツールなので、SNSの中でも最もオープンマインドなツールとして、今回採用しました。

無料で自由に有益な情報に触れられたあの時の初心は大切にしつつ、今あるツールを有効活用していき、新たな世界に出会えることを楽しみにしたいと思います。

*7/15にメールをくださったT様、当方より返信をしております。
*7/23にメールをくださったY様、当方より返信をしております。
もしこの記事をお読みになられたら、Twitterあるいは新メールmegalithmury☆gmail.com(☆を@に)までご連絡ください。
→7/31追記:さっそくご返信をいただきました。ありがとうございました!

他のhotmailでご登録いただいていた方も、上記Gmailへ登録変更いただければ幸いです。
(ただ、Gmailもこの頃挙動が怪しいと聞きました。届いたメールはすべて返信してきましたので、届いていない場合はお許しください)

岩窟・岩屋は信仰対象でしょうか?

先日、メールでお問い合わせを受けました。
メールで返信した内容をもとに、このブログでも共有します。

>三重県熊野市の「花の窟」に代表されるような、窟と名前がついているものは蔵や倉のような働きなのでしょうか?それとも神や仏と同列の信仰対象なのでしょうか?

「窟と名前のついているものは、すべて~タイプですよ」と言えないのが悩ましいところです。
一言で言えばケースバイケースです。

岩手県の平泉に、達谷窟毘沙門堂という場所があります。
堂の後ろには岩窟があり、そこは昔、この辺り一帯を支配したエミシの首長が住んでいた場所だといいます。
これを坂上田村麻呂が延暦20年(801年)に打ち破り、その戦勝記念に、田村麻呂がこの窟に毘沙門天を祀る堂を建てたというのが縁起です。

この場合、窟が神聖視されているかどうか、なかなか判断に苦しむ事例です。
エミシの首長を奉る人々がいたならば、そういった人々にとってこの窟は神聖視される場所だったことでしょうが、少なくとも寺側にとって窟は「討伐されるべき悪路王」たちの住処だったことを考えれば、窟は決して神聖視されるものではないでしょう。
討伐された後、仏化されるパターンもあるのでこの限りではありませんが・・・
敵地を討伐した田村麻呂伝説を現代の人の記憶にとどめるための、記念物としての岩石とも言えます。

またこれは、むかし旧HPの掲示板で書いたことのある話ですが、三重県名張市に千方窟という場所があります。
ここは藤原千方という逆賊が巣食っていた場所なのですが、討伐後、地元の人々によって千方明神としてまつられています。

達谷窟の場合は、賊のいた窟を覆うように「英雄」の坂上田村麻呂が顕彰されている形ですが、こっちの千方窟は賊である藤原千方が千方明神として神格化されています。

見る人の立場が違えば、類型は変わるというか、複数の類型を宿すというのが私の今の考えです。
信仰者でない私から見れば、達谷窟も千方窟も「名勝」ですしね。これも岩石に対する一つの見方。

話を戻して、お問い合わせの花の窟は祭神の墓所という位置づけなので、神が最終的に宿った岩という意味では、私が以前『岩石を信仰していた日本人』で提示した分類では「BAB類型 信仰対象が宿る施設――蔵・窟」が近いですね。
神の装置として選ばれたという点では、道具感が強い。
窟を信仰しているというより、窟の中に宿っている抽象的なもの(神観念)を信仰している。
岩石の視覚的要素は、その神格を盛り上げる装い的なものかなと。

同様に私が提示した「A類型 信仰対象」型は、元からその石が信仰対象である(信仰対象が入る前の歴史が想定されていない)意味合いがあり、これは目に見えない抽象概念よりも岩石自体の造形から発したものに当てはめたいところです。

でも拙著で書いた通り、このあたりの境界線はあいまいです。
あいまいな理由は、時代と人の立場によって、その類型が変化したり混ざり合ったりするからです。とくにそこから時間経過した現代ではどれか1つをピックアップしにくいから、一言で言いにくいのです。

2018年7月19日木曜日

塩釜市竜頭島のニュースに接して感じたこと

「塩釜・竜頭島が削られる 宮城県、防潮堤工事中断し保存へ 市民『びっくりがっかり』」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00000014-khks-pol

宮城県塩釜市の竜頭島。岩礁のようです。
40年前、県の工事でつぶされる予定だった島ですが、当時の地元の保存要望を受けて守られた場所だそうです。

それが今回、県が防潮堤の接続道路を通すため改めて工事区域に入り、工事中に壊されていることに気づいた人が抗議して、取り壊しはストップ。今は保存に向けて動いているそうです。

これだけだと県が悪いようですが、県も事前に確認や伺いは立てていたようで、

>県は防潮堤工事に先立つ調査で島が特別名勝・松島に該当しないことを確認。近くの市魚市場関係者らに工事の是非を尋ね、「支障ない」との返答を得たため重機を入れたという。

ヤフーニュースに上がったので色々なコメントも載っていて、人によって色んなリアクションが出たことに興味を惹かれます。
いくつかピックアップすると、

Was***** | 1時間前

それほど大事なら、市が文化財に指定しておかないと、県の指定にもならないしね。この話からしたら間違いなく手続き上、問題なく扱われて普通に更地にされます。
もう少し早く市に働きかけておくべきでしたよね。

hak***** | 1時間前

少なくともこの程度の岩山を観光資源にするのは無理だろう。
思い入れがある人がいるのは分かるが、あの津波を経験してそれでも岩山のほうが大事なの?

tsu***** | 1時間前

双方言い分はあるのはわかる、、
闇雲に壊す計画ならNGでしょうが、
弊害になるのならばやむを得ない、
ですよね。

反対したあなた方、あなた方の命より
岩が大事ならば勝手に命をたてばよい。

** *a*8*** | 2時間前

文化財等に登録しないと、
役人の変更では継続なんかしない。
結果的に不必要な物にされてしまう。

yam***** | 1時間前

命や財産を守る防潮堤より大切なモノってなんだろ。

一介の石好きとしてはグサッと刺さる声もありますが、
一方、正論として聞くともう、どれもおっしゃるとおり。
どれも肯けるんですよね。
石は正論とは真逆の存在でしょうから、正論をぶつけられるとどうしようもない。

竜頭島自体は接続道路の通り道で、防潮堤になるわけではなかったみたいですが、コストで考えてこうしたわけですから、県が保存を決めたことでコストアップは必至でしょう。
県も大変です。

なによりも、近くの市魚市場関係者らが「支障ない」と答えたことからも、地元の方すべてが「びっくりがっかり」というわけではないことも事実。

正論やコスパで考えれば、それは40年前の人間の思いより、今の人間の声を大事にすることは当然です。

私は石好きですが、何が何でも石保存派ではありません。
どちらかというと歴史重視派です。

石の扱い方を文化財や観光地にするとかあまりに一面的で、別に指定しなくてもいいし、その結果で石が淘汰されるならそれも歴史です。
一つだけ言えるのは、原状は回復できないということ。二度と元の石には戻せません。
その重みを知るのなら、何をしても良いと思います。 組織ですからだれも責任はとらないものですが。

4分の1だけ削られた竜頭島。
こんな状態だともう意味ないじゃんという気持ちもわかりますが、私個人はこれはこれで、守りたい人間と壊して別のものを作りたい人間の両方の歴史が見た目で残ったという意味で、まさに文化財もの。
何にでも人間の起こした営為に意味は見出せます。

石そのものより、石を人間がどう見るかという歴史の方に注目しています。
だから、石よりも大事なものがあるよねという大勢の感性に理解しつつ、このブログで逆張りする意味合いは再認識できました。

2018年7月15日日曜日

戸隠三十三窟(長野県長野市)


長野県長野市戸隠 戸隠神社(戸隠山)

戸隠神社は元来は学問行者が開山した霊場であり、山岳仏教・修験道の系譜で隆盛していたものが、明治の神仏分離を受けて神社となったものである。

戸隠神社奥社
戸隠神社奥社(奥院)参道の有名な杉並木だが、これも江戸時代に植樹されたものである。

戸隠山を練り歩いていた学問行者が諸仏と出会った場所が、現在戸隠神社奥社の背後にある本窟・宝窟であり、戸隠の地主神ともいわれる九頭龍大神と出会ったのが現在九頭龍社の背後にある龍窟と伝えられている。

戸隠神社奥社
奥社(奥院)の裏に見える岩肌。本窟・宝窟と目されるが内部を見ることはできない。戸隠信仰の本髄はここにあるはずだが感得することはできなさそうだ。

戸隠神社奥社
九頭龍社に接している岩肌。社の本殿はこの岩盤の中に導かれており、龍窟と思われるがこちらも構造不詳。

戸隠神社奥社

戸隠山には、このような岩窟の行場が山中各所に分布していたといい、戸隠三十三窟と総称されている。
三十三窟と思しきものが江戸時代の絵図にも描かれているので列挙してみたい。

http://www.i-repository.net/il/cont/01/G0000307npmh/000/218/000218978.jpg
「信州戸隠山惣略絵図」(江戸時代作推定)

上絵図は33カ所描かれていないので、下の近代の絵図も参照してピックアップしてみよう。

http://www.i-repository.net/il/cont/01/G0000307npmh/000/218/000218977.jpg
「国幣小社戸隠神社御境内図」(1900年作)

  • 本窟(宝窟)
  • 龍窟
  • 大岩窟
  • 大多利窟
  • 仙人窟
  • 歓喜天窟
  • 帝釈窟
  • 金剛窟
  • 大威徳窟
  • 水晶窟
  • 不動ノ窟
  • 軍タリ窟
  • 胎内窟
  • 隆三世窟
  • 愛染窟
  • 毘沙門窟
  • 聖天窟
  • 長殿窟
  • 三層窟
  • 西窟
  • 獅子ノ窟
  • 象ノ窟
  • 五色窟
  • 大隈窟
  • 小隈窟
  • 中ノ窟
  • 日中窟
  • 雷ノ窟
  • 経蔵窟
  • ヤクシ窟
  • 梯願窟
  • 塔窟
  • 般若窟
  • 法華窟
  • 智慧ノ窟

複数の文献から拾い出したところ、33カ所を超えてしまった。時代と文献によって、三十三窟の選定には揺らぎがあるらしい。
(または、同一物に複数の名称がついているか)

また、裏山には「礼ハイ石」「マンダラ石」の字も見え、山岳仏教特有の岩石信仰の跡も見られる。

これらのいくつかは所在が特定されているが、中には位置が分からなくなっていたり、現在では到達至難な場所もあるとのことである。
一部の岩窟については、導いてくれる専門のガイドの方もおられるようだが、本格的な登攀装備は必須だろう。

ほか、気になったものをいくつか。

戸隠神社奥社
社務所の隣にある、岩に囲まれた施設。

戸隠神社奥社
参道脇に露出する岩塊の岩陰に祀られた石仏三体。文政2年(1819年)の銘がある。

戸隠神社奥社
現代の岩石信仰あるいは特別視と呼ぶべき所産。参道脇に存在。

2018年7月12日木曜日

田頭 岩窟観音堂(長野県長野市)


長野県長野市戸隠栃原田頭 字裏の山



戸隠の田頭地区にある岩窟観音堂は、樹齢約500年といわれる大杉(天然記念物)の存在で知られる名勝である。
これと併せて、岩窟観音堂の名前が表すように、本堂の背後と隣に2体の巨岩が控えることにも触れておきたい。
周辺にこれほどの岩盤の露出は見あたらず、この地だけに忽然と存在する。

田頭岩窟観音堂

県外者は、田頭地区まで来るのが一苦労である。

長野市街から車で約1時間。
国道406号経由と戸隠神社方面から地方道を進むルートがあるが、いずれのルートも狭道であり普通車はやや難儀する。
(私は普通車で来たが)

田頭に入ったら、この看板のとおりに進む。

田頭岩窟観音堂

ここで私は道を間違えまっすぐ進んだが、正解は右。
よく見ると、道の分かれ目に「岩窟観音堂の大杉」を示す標識があるが、狭道のため注意が散りやすく、標識に目が行きにくい。
まっすぐ進むと、後で触れる妙見神社・妙見寺にぶつかる。
徒歩であれば、妙見神社・妙見寺経由で行きつくこともできるが、ややわかりにくいので林道経由を推奨したい。

田頭岩窟観音堂

先の分岐を右に進むと、林道「上ノ入線」に突入する。
別の道につながらず、やがて袋小路になる林道のようだ。
道幅はそこまで狭くはないが、未舗装のため夏は草が繁茂しすぎで車が入れる道になっていない。

田頭岩窟観音堂

上写真の道路状況はここがたまたま良いだけで、探訪日(2018.6.30)は倒木と落石が多く、現状で車の進入はお薦めしない。夏は特に進入車が少ないのではないか。

上写真の「岩窟観音堂の大杉」の説明看板が右手に見えたら、右の山側斜面に取りつく。
上写真ではよく分からないと思うので、さらに拡大。

田頭岩窟観音堂

上写真中央の踏み跡を登ればすぐ岩窟観音堂が見える。

私は初めは夕方に訪れたため、この踏み跡が薄暗く観音堂への取りつきとわからず、林道の先にあるのだと勘違いしひたすら突き進んで敗退。
翌日に再訪したところ、昼間なら林道からも観音堂が見えたので2回目で見つけることができた(夏なので繁茂でよりわかりにくいのだろう)。

田頭岩窟観音堂

ちなみに林道を直進すると、「岩窟観音自然園」の2001年の看板が立つ場所がある。

田頭岩窟観音堂

そこに東屋があり、おそらく駐車スペースを思われる広場があるが、ご覧のとおり伸び放題なので夏は車の底をこする覚悟で。
冬は冬で凍結の恐れがあると思うので、車でのアクセスは春か秋限定かも。
かつては観光地化されたような形跡があるが、現状は再び取り残されている感がある。

田頭岩窟観音堂

岩窟観音堂の遠景。
よくここにお堂を建てたと感心する斜面。舞台造となっている。
写真の左右に巨岩が相対する。

田頭岩窟観音堂

本堂の前に屹立するのが大杉。

田頭岩窟観音堂

田頭岩窟観音堂

「岩窟観音堂維持お手植えの杉」とある。
維持は平安時代の平維茂(たいらのこれもち)のことで、戸隠一帯に鬼女・紅葉を維茂が討伐した紅葉伝説が広まっており、その伝承地となる。

田頭岩窟観音堂

本堂掲示(1929年、信徒総代3名と大昌寺住職滝沢天海氏の記述)からかいつまむと、次のとおりである。

  • 名称は「妙見寺(岩窟観音堂守護寺)」「奥の院岩窟観音堂」
  • 本尊は弘法大師作(伝)とされる観世音と馬頭観世音。
  • 平維茂が鬼女・紅葉を討伐する時、北向観世音(小県郡別所村)に祈願したところ、紅葉の居場所を霊夢で知り討ち取ることができた。
  • 紅葉討伐は観音の霊験と感激した維茂は「奇巌相聳える地を探し」、北向観世音の分霊をまつったのが当地だという。

伝承上の話ではあるが、維茂が観音をまつる地をなぜ「奇巌相聳える地」にしたのかは不明である。

田頭岩窟観音堂

田頭岩窟観音堂

本堂の背後には、堂に接して上の巨岩がそびえている。
岩肌には大小の窪みがあり、堂背後には岩窟状の空間があるのかどうかは不明だが、構造的にはあってもおかしくない。
戸隠神社の奥の院も背後に岩窟を有し、祭祀構造としては同等である。

田頭岩窟観音堂

本堂の西にもう1体巨岩がある。

田頭岩窟観音堂

こちらは社祠をまつっているようである。
神名は明示されておらず不明。

田頭岩窟観音堂

実際は石仏も奉献されており、神仏混淆の世界である。
紅葉伝説の一伝承地として語られる場所だが、このような斜面に舞台造の堂を設けた理由はこの2体の巨岩の立地に他ならない。
この岩石信仰はいつまで遡れるのか興味がある。

田頭岩窟観音堂

麓には妙見神社と妙見寺がある。
前述の掲示によれば、ここの奥の院として岩窟観音堂は位置づけられている。
神社の右を通る踏み跡が本来の参詣道だったと推測され、この延長線上に岩窟観音堂がある。

田頭岩窟観音堂

参詣道に並ぶ多数の石仏群が歴史を物語っている。